幸せの気づき

NO.9

 

お金のレッスン

 

2002年3月12日


(友人Cさんへ書いたメイルからの引用です。Cさんにご快諾いただきここに載せる事ができました。ありがとうございました。Cさんの言葉から始まってます。)

Cさん:まだ「お金」のレッスンしてて、本音は辛いです。


さちこ:「まだ」なんて言わないでください。みーんなやってますよ。私も先月の元気とお金に対する「大丈夫」の気持ちが、このやる気のなさ、体力減少等で、そげはじめてきてます。働かない=お金ない、というごく単純な方程式が表面に出てきちゃいます。

私はセドナで働いていること、春くらいから減らしたいと思ってるんですが、またしても、恐怖が頭もたげます。去年、まずは、週4日の所を3日にした時も、勇気がいりました。でも結局の所、問題なかったんです。小売業というもの、やっぱり、私向きじゃないと、もう、何年も前から思い知っているにもかかわらず、「安心料」という名の下で、キープしている現状ですから。(注: セドナはとてもいい職場です。誤解のないように。私にとって、小売業というのが向いていないというだけで)

なにしろ、そういう場所に実労8時間いるって言うのは、きついです。「帰りたい!」コールが頭の中をブンブン回っちゃいます。高々、週3日だけですが、これほど、そう思うのは、もう「違う」としか言いようないですよね。でも、今のように不安な気持ちになると、ここだけが、確実に収入ある場所に見えてきちゃう。そうなると、自分で自分の首絞めることになって、嫌だけど、いるしかないかって。でも、私が破産寸前だった4年前のことを思えば、こんなことで、どうして、こんなに不安になるのか分かんないって感じでもあるんですが。一度、こわい思いをし、ある程度の安定感を得たりすると、逆に、その安定感ないとこわくなる。

本当にそうでした。あの時は、すべてが真っ暗。何も見えませんでした。唯一の慰めは、毎日夕焼けにピンクに染まる、あのきれいな雲の色を見ることでした。あんなにきれいな雲がこの世の中にはあるんだ。お金では買えないものが、毎日、大空に惜しげもなく現れてくれてる。クリスタル・ヒーラーのダナ・ムーディーがよく言ってくれました。「お金がないって言う方にフォーカスを持って行っちゃだめ。大丈夫だっていう方に、フォーカスを持っていくのよ。そうでないと、本当につぶれちゃうだけ。」って。あの言葉で、あのピンクの雲が、私には「大丈夫!」っていう象徴になってくれました。

あのピンクの雲、ほとんど毎日、今でも空に現れてくれてるんですよね。ダナが言ったように、もう無心に「大丈夫」と信じることしか、本当の意味で力をくれるものはないんだと思います。そして、それこそが、現実を作ってくれる種なんですよね。

今の私は、それこそ、破産の危機以前よりなぜか広い家に住むことになり!その家賃もなぜか払えていて4年目を迎えてます。借金だけは、うちの家族の助けにより肩代わりしてもらえ、だからと言って、収入の道が何か変ったかというと、何も変らず、そのままの状態にもかかわらず、収入は明らかに増えてくれたんですよね。本当にフリーランスでやっている分、何も、目に見えて、確実な収入源はないけれども、そんなことは、本当の事言ったら、どんな大企業でも同じ事なんだと思うんです。誰も、翌年、10年先の売上げを確定できるとこなんてない。でも、「なにか」を信じてやってるからこそ、物が売れ、収入が入ってきてるんですよね。そのなにかは、自分が、「大丈夫」と思うことだけですよね、きっと。それも、自分がこのくらいは欲しいというものをちゃんと提示し、それを受取ってもいいと自分にOKを出せたら、それが、方向性で、確かに、そういう現実を運んできてくれる、とっても「確か」なものになるんだと思います。

私は、今日、これを自分に言ってあげるために、Cさんにメイル書いたんだと思います。この機会を、Cさん、ありがとう! ハワイで住む同じ日本人として、日本のいわゆる「安定した固定収入」を放棄したものとして、でも、夢は叶うよねと信じるものとして、この楽園のハワイで、「豊かな生活」を一緒に実現したいです。あらゆる意味での豊かさを!

私ね、私の経験からのことですが、私が破産寸前になった大きな理由が、お金を嫌っていたということだったんですよ。「諸悪の根元」と思っていた。昔から、お金に目が眩んでろくな人間にならなかったという話ばかり聞いていたように思います。それに昔は、貧富の差がまだ激しかった頃だから、確かに、おかしな人はたくさんいたんだと思います。そして、人はやっぱりスキャンダル好き。悪いお金持の話の方が、善人なお金持の人の話より、やっぱりおもしろかったんじゃないかなぁ。そして、実際、みんなお金ない人達は嫉妬の気持ちもあったろうし。先日、友人にメイル書いてて、昔、霧島洋子さんが書いた「寂しいアメリカ人」というマイアミに住むお金持の老人たちの実態を書いた本の話をしてたんですよ。お金はあるけど、人が信じられず、一人で暮らしてるっていう老人たち。私は、そんな話ばかり、昔から読んでいて、お金持=悪者の図はもう根深く持ってたんだなぁって、笑ってたんです。でも、善良な人、善人というのが、質素な暮しをしているっていうの、もう定番でしたからね、昔は。そういう、知らないうちについてしまった、時代的な思い込みなどによって、私は、ずっと、お金を嫌ってきました。嫌な思いをするからこそ、お金を手にしてもいい、とか。要するに、楽しい思いをしては、入っちゃいけないもの。文句言いつつも、9時5時やるからこそ、お給料が、ちょっとずつ上がり、老後が安泰してくる、みたいなね。もう、みごとなくらい、それをやってました。昔、私の姉はまた、共産党崇拝をしていた人ですから、金持は大悪党でしたし。すごい環境が整っていたように思います。お金を嫌うための。そのくせにお金使うのは好きでしたね。それは、嫌な思いをした上の「ごほうび」だから、いいんだっていう勝手な大義名分だったかもしれません。だから、大義名分ないとお金と仲良くできなかった。だから、ハワイへ来て、自分がしたいことだけしてる私には、その大義名分がなかったから、お金と仲良くできず、お金は離れてしまった。これが、事実です。

お金が入ってこない現実があるなら、何かがブロックしてる。それは、おそらく、かなり正しい考察だと思うんです。私の場合、当然、お金は私に嫌われて、去っていきました、でしたから。それで私がやったことは、お金に対する「謝罪文ラブレター」を書くということだったんです。根も葉もない理由で嫌ったことを謝罪し、これからは仲良くしてくださいって。お金は、私達の生活を円滑にし豊かにしてくれている、大変便利なエネルギーであるのは否めない事実です。それを悪用することも当然できますが、みんなを豊かにするというすばらしいこともしてくれるわけですよね。物事、2面みんなあり、どっちにフォーカスするかが、現実を決めているだけで。

私は、お友達になる決意を書き、楽しい思いをした時も、お金と言うエネルギーで返ってくることを、もろ手を挙げて受け入れます、と宣言しました。本当にお金さんには失礼なことをし続けましたからね。自分の中に、そういう謝罪したということで、お金に対する姿勢もどんどん変っていくのが分かりました。それから、もちろんアファメーション(自分にあげる肯定文)は家中にベタベタと貼ってあります。「私はいつもお金に囲まれて、豊かに快適に生きています」って。そして、DP2000にある、信条書き換えもしました。

もちろん、長いこと信じ込んだ思い込みです。ちょこちょこと顔を出す事も多いですが、その度に、そういう自分がまだいるということも受け入れてあげて、でも「大丈夫」というのをまめに自分に言ってあげる。もうジミーな行為ですよね。今もその真っ最中だし(笑)

もちろん長い目で見た時に、お金と言うものが、なくなるであろうという方向に行っているのも確かだとも思いますが、まだまだ先の話ですよね。私達の今生ではまだでしょうね。だからこそ、ちゃんとお付き合いしないといけないんだと思うんです。お金がいいものなんだということが土台にあって、自分がそのいいものを手にしてもいいんだと思えれば、入ってこない理由はないんだと、私は信じています。そういう意味でも、自分を大切に思うこと、愛してあげることも必須だと思うんですよね。

 

 

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