今朝、夢の中で気づきがありました。なぜ、みんな、自分の幸せを受取るのが苦手か。「自分だけ幸せになるなんて・・・罪悪感。」あくまでも可能性のある理由の大きな一つとは思いますが。それは、
母と言われる人達は、自分を犠牲にしても子供を守り、子供の幸せを考えるという方々。これは、結構どこの世界へ行ってもあることだと思いますよね。子供が小さい時は、自分で自分を守れないというハンディがあるから、母の行為が必要なのは当然ですが、大きくなっても、それがそのまま続いてしまってることがよくある。とってもよくあるケースです。そして、日本の母であればまた、「自分さえ我慢すれば」と言って、自分のことなど考えず、自分が幸せになること、うれしくなることなどをとうに放棄した方たちがいて、その「我慢して、自分の幸せを放棄して生きて、人の幸せのために生きる」という「良妻賢母」というのが、大人の女性の生き方と、そういう母たちに育てられた女性は思うわけですよね。すべての母が良妻賢母を本当にやらなかったとしても、日本にいる女性たちにとって、どこかで、「人の幸せのために生きること」というのが理想と頭に入っている気がします。だから、そういうことができない自分を責めるという図ができてしまう。その延長線に「自分だけが幸せになっちゃいけない」って言うのが出てくるのではないでしょうか。
子供は周りの大人を見て、それが大人としてやることだと学びます。いくら、「あなたはこういうことやることはないのよ」と言われたとしても、それは無理というものです。深く心のなかに、周りの大人の姿は浸透していきます。だから、「自分さえ我慢すれば・・・」と言って家族に尽くした母を見て育てば、その娘も自分が我慢することが女性の務めと思い、実行しようとし、うれしくない人生を生きる可能性を大きくします。幸せを放棄するというのは、生き続けるためにはほとんど不可能なことだから。
しかし、家族に尽くした母たちは、それでも、子供達の幸せな顔を見て、そこから幸せを感じることができ、それが生きがい、正に生きるために必要なエネルギーをそこからもらっていたと思います。そのうち、子供達は成長し、そんなにうれしい顔も見せなくなってしまうと、生きていくことが、本当に苦しくなる。
かたや、子供のいない方は、人のためということを考えて生きても、ストレートに子供のようにいつもそばにいてくれる存在がいなかったりするし、いても、子供のように、素直にうれしい気持ちとか見せてくれないぶん、尽くしても報われない、うれしいエネルギーをもらえなかったりすることも多いのかもしれません。やはり、元気が出ない。
どの道、自分の幸せを人の行動からもらおうとしても、保証のない幸せですよね。どっか、これって、お金と似てるかもと思いました。ストレートに「お金をください」と言えなかった私でしたから、お金をもらう時は、がんばって、苦労した上でもらえるものという大義名分が必要でした。幸せも、他の人を幸せにしたから、そのごほうびにもらえるもの、みたいな。うれしいものをストレートに手にしちゃいけないって、どうして思ったんでしょうかねぇ。昔は、お金も幸せもそう一杯ない世の中だったってことに関係あるかもしれませんね。
と言うことで、女性に関しては、この幸せ、あまりストレートに手にしちゃいけないという考え、母たちから来たんでしょうね。男性の場合も、家族のためという大義名分で、苦しい思いをして働いた父というのもよくあった姿ですもんね。男性もそういうことで、家族の犠牲になり、家族の喜ぶ顔が幸せの素っていうの、あるんでしょうね。
なんてまぁ、みなさん、遠慮深くできてるって言うのか。社会全体がない物ねだりはしないぞ、って申し合わせてこういう結果を作ったんでしょうかねぇ。
でも、それは、本当に昔の高度成長時代ずっと以前、いや、戦争前のメンタリティーですよね。物は溢れて、デフレの世の中ですもん、もう頭の切り替えしてもいいですよね!
そんな気づきをした今朝の夢でした。みなさんはどう思いますか?