・・・改めて、自分の年思い出さされたって言うか、やっぱり、50はまだまだと思っていたのに、結構、至近距離で、それもショックだったかなぁ。でも、矛盾してるな、っては思う。人には、年なんて関係なーいって言ってるのにね。年ってさ、忍び寄ってくる寒気?みたいに感じてしまってる自分がいる、今。正直、記憶力の低下とか、体が妙に痛かったりとか、朝方にトイレに起きるようになるとか、なんか、変化があると、やっぱり、う〜ん、とか思ってしまう。これは、「成長」よっていいたいけど、これはプロセスよって言いたいけど、なんか、心に風が吹くって言うかね。さびしぃとか。
でも、トリシュや、ジョーンを見てると、そんなことないってって思えるんだけど。確かに自分が「変化」していくのに、どうやって、調整していくのかってことなんだよね。これは、日頃から現実を、とりあえず認めていく、意味分からなくても、っていうのの逆やってるなぁ、なんて気付きました。赤ちゃんが立ち上がって歩けるようになる変化は、みんな大喜びしてるくせに、中年からの変化は、みんな閉口してる。頭脳の使い方、マインドの使い方が変るってことだと思うんだけどな。
冷静に思えばそう思えるんだけど、若い頃に思っていた、中年、老年のイメージは、暗かったよね。確かに。中学生の頃に、2000年になった時、私は45なんだって思った時、すごいこわかったの覚えてる。いろんな意味で、その頃の私には、大人と言うものは、もう、道がちゃんと決まっていて、自立していて、一人で生きれるものなんだって、思ってたもんね。潔く、さっさと自分の生きる道を決める、とか、一人で生きていくとか言うこと自身、すごいこわいことでした。
でも、これは、社会が、あの時の社会が私に信じ込ませたことでね、今では、そういうことではないって分かってきた私は、自分の道と言うものを、今でもはっきりとは分っていなくても、OKにしていられて、そう、中学生の私は、その責任感とかを思ってつぶされそうな気持ちだったんだと思う。今でも、それが大人の責任だって言われたら、私つぶれちゃう。(笑) だから、その責任と共にある、その年の積み重ねは、恐怖に見えた。どっか、年取って、自分の道を決めてしまった大人達から感じた、責任と義務で生きている姿は、夢がなかったからかもしれない。楽しそうに見えなかった。なんか、人生、これだけって。そう思わされてたんだ。
そうか!そういうことだったんだ。じゃ、私は、喜んで年重ねてこう。夢を持った楽しい人生を送る40代として! Sさん、ありがとう。気付きの機会をくれて!