幸せの気づき

NO.2

 

大人の責任って?

 

2001年3月24日(火)

 
昨日は、頭が重く、やっぱり!あの後頭痛がしてきて、セドナは、つらかった。でも、ちょっと、腎臓のことを考えて、薬を飲むのをやめたものだから、つらさは、結構すごかったです。体は冷えてくるし、暖かいお茶を飲み続けてました。リーダーのシェリルから長袖の首の詰まったTシャツ貸してもらい、その上にカーディガン着て。体を温めるというのはすごいことですよね。家に帰って、お風呂に入って、かなり楽になって寝ました。

昨日の頭痛は、二日酔いとかにするような、じゅくじゅくタイプって言うんですか、ドクドクと来る痛みもあって、なんて言うのかな、血液中が汚れてるような気がする頭痛でした。幸い、もどすこともなく、収まってくれて、本当に助かりました。今朝は、嘘のようにさわやかです。昨日あった首や肩の痛みもかなり取れて。

シェリルとも話してたんだけど、今回の仕事が、自分がやるだけやったという感じがないというのが、大きなこだわりになってる気がします。それで、自分を責めてたんだと思うんですよね。「もっとできたはずなのに!」みたいなね。シェリル曰く、「一旦、出版されてみれば分かるわよ。やるだけのことやったってことが。」って言われ、そうだよね、なんてなぐさめられました。ダナのインタビューが、メチャクチャ、困難で、それも全部できなかったって言うのが、心残りなんだと思うんですよね。確かに、やるはずのことだったら、できていたはずだし、そう、そういう風に宇宙は回ってるんだって、理屈では分かるんですが、このしがみつき、もっと「ちゃんと」やりたかったとかいう気持ちが残ってます。何が「ちゃんと」なんだろう。どういう意味なんだろう、とふと考えてしまいますよね。一旦決めたことを、何がなんでもやり通すことが、「ちゃんと」やることなんだろうか?どんな障害があっても、流れに乗ってなくても? それは、自分の意地を通してるだけじゃないだろうか? 宇宙が示すガイドを無視してるだけじゃないだろうか? 何かやろうとして、進まない時は、確かに何かのサインなんだから。自分がやると言ったことをやり通すことが、大人としての責任、と思われてきたけれど、やろうとしても、進まなくて、実際、宇宙から見て、やる必要のないことだったとしたら、進まないという、そのガイドに従うことが、自分の道だと受け入れて、やめる勇気があってもいいんじゃないだろうか? 

昔の私だったら、これは自分ができなかったことに対する、ただの正当化って言ったかもしれない。そして、たくさんの社会人の方々には、そう思われるかもしれない。宇宙のガイドということを意識し始めるようになってから、そういう目で、今までのことを見ていると、確かに、その起きた瞬間は、くやしかったり、ジダンダ踏んだり、自分を責めたりしてきたんだけど、やり通せなかったこととかを、よく見てみると、確かにあれをやり通してたら、後が大変だったかもしれないということが、いくつかあります。今回のこともその一つなんだろうと思いますが、昔の自分、大人の責任とかいう言葉を信じていた自分が、イライラしてるんだと思います。シェリル的に言うと、その部分が、癒されなくっちゃいけない部分、ということだと思います。

確かに。責任を取るという言葉の重さ、すごいいやな響きです。たいていの場合、自分がいやだと思うことをしなきゃいけない時に使われますよね。でも、本当の責任は、自分が幸せになるように見とどけることだと思うんです。責任という言葉で、何度も、自分が過去責められ、自分を責めてきた。その自分を癒して上げることが、必要だということを、それだけを、きっと、今回のことは見せてくれてるんだと思います。

私の素直な体さん、ありがとう!

 

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